近世までの日韓の歴史
まず、なぜここまで日本と韓国の関係がねじれてしまったのかを考える前提として、日韓の歴史を知っておく必要があるでしょう。現在、日本は韓国に対して敵対心を持ってはいませんが、逆に韓国は世論調査などでも親日感情は非常に薄く、敵対心をあらわにしているというデータがあります。
こういった問題を冷静に判断するには、まずはその前提となる歴史を知る必要があると思います。
そこで、今回は明治以前近世までの日韓の歴史を掘り下げてみようと考えています。
このページは参考程度に読んでください。興味のない方は次のページへどうぞ・・・
縄文・弥生時代
朝鮮との行き来は少なからずあったようです。稲作は東南アジアから>>>日本>>>朝鮮と伝播していったようです。
古代
日本と朝鮮では文化の行き来が頻繁に行われていたようである。多くの大陸文化が日本に輸入され、また、日本の文化、技術も輸出されていたようである。朝鮮では三国時代であり、高句麗、新羅、百済に分かれて戦争が繰り広げられていた。
新羅が勢力を拡大したことで、高句麗は倭国(日本)と親密になってゆきました。このころの貿易も多く行われていたということです。
その後、新羅と唐が連合を組み、百済、高句麗を滅ぼした。その際、多くの百済人を倭国が難民として受け入れたとあります。つまり、既にこのころに人種を受け入れ少なからず、朝鮮人の血も流入していたということでしょう。
その後、日本は新羅、唐との国交を作り、貿易を盛んにおこないました。
中世
中世には有名な元寇が起こっています。この際も蒙古軍にまじって、高麗軍(朝鮮)も日本に攻めてきています。この際、対馬などの日本の人々は攻め入られて男は皆殺しにされ、女は手に穴をあけて数珠つなぎにされて辱めを受けたそうです。
その後、室町時代には朝鮮との貿易が行われている。
近世
このころには有名な秀吉の2度にわたる朝鮮出兵がおこなわれている。日本軍は遠隔地で疲弊していたが平壌あたりまで進撃していた。しかし、秀吉の死によって撤退する。
その後江戸時代には、制限はあるものの国交が回復し貿易も行われた。将軍が変わるごとに朝鮮通信使も来日している。
以上のように、縄文の昔から、近世にわたるまで、何度かの戦争や、国交断絶・回復など様々な局面を迎えていた。
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